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ATCJのみなさんへ!!! 
いつも“つうしん”を送ってくださって有り難う。 “Walking With My Airedale” を通してみなさんがイギリスの歴史に関して私と話題を共有していてくれることがとても嬉しいです。 英国の南西部は最も古くから多くの戦いがあったところで、歴史的にとても魅力のある地域です。このような場所を愛犬たちと実際に訪れることができて、私はとても幸せです。

私は長い間 West of England and South Wales Airedale Terrier Club ( WESWATC) の会長をしていましたが、今はクラブの活動は何もやっていません。 また、10数年前から私は National Airedale Terrier Association ( NATA ) の発行するイヤーブックの編集もしていましたが、数年前にその仕事からも引退しました。やはり年齢は私の熱意をくじけさせます。
私はほとんどのエアデールラバーズのように、こまごまとしたエアデールのすばらしいコレクションを持っています。それらは主に妻のRuth が海外へジャッジとして行く旅行の時に何年もかけて手に入れたものです。私たちは郊外のサマーセットというところに3.5エーカーの土地を持ち、200〜300年前に建てられた農家でエアデール達と毎日生活しています。とてもすばらしい環境で、自分自身、とても運の良い人生を送ることができたと思っています。

私たちにとってのエアデールの魅力は。それは「真の独立」。しかしその独立は私たちといつも「絆」という感覚で結ばれていて、私たちとエアデール達はいつもお互い良き協力関係にあります。私たちはお互い生きている限り、いつもそばにエアデールを置いておきたいと思っています。カルダンケンネルの歴史については一昨年 Ruth が Crufts でジャッジをしたときに、彼女が NATA のために準備したものがありますからそれを紹介しましょう。
Karudon Airedales - the beginning
多くのエアデールブリーダーと違って、祖父はエアデールのオーナーでもなく、私は彼らといっしょに育ったわけでもありません。それにもかかわらず母は妊娠中にエアデールに噛まれたと私によく言ってたものでした。しかし、今思えばそれはエアデール熱にうかされそうになった私を、母は単に引き留めようとしてのことだったのだと思います。真実は分かりません。私は隣の家のモコモコのエアデールをフェンス越しによく手をつかんでいたことを思い出します。しかし、私は彼といっしょに庭で遊ぶことは決して許されませんでした。
子供の頃私と弟は色々な種類の犬、色々な形やサイズの犬や、血統のわからない犬など、実にたくさんの犬を飼っていたのにもかかわらず、エアデールだけは長い月日をを待たねばなりませんでした。彼らのうちの多くは保健所出身の犬たちで、たまに庭に迷い込んで居座ってしまいました子もいました。でもその中にはエアデールは一度もいませんでした。
私たちの子供が成長したとき、Donaldと私は犬を飼うならエアデールが良いだろうと決めていました。男性優越主義の Donald はオスを欲しがりました。私はどちらでも良かったのですが、たまたまその時オスがいなくて、それで私たちはメスを飼うことにしました。私は時々Donald が欲しがっていたオスをその時飼っていたら、どうなっていただろうと思います。トリミングは誰かにやってもらって、日常の手入れとして私はただブラシやコームをかけるだけで、その子はただのペットで終わっていたでしょう。

私たちの初めてのエアデールテリア “ケイティ” は14年間の生涯を通して本当に変わった子でした。彼女はとても個性的で、村の誰からも良く知られていました。彼女は私たちがその後に飼ったどんな犬よりも庭から逃げ出す方法を良く知っていました。そしていつも10時のおやつのクッキーに間に合うようにキッチンに戻ってきました。 彼女が生後6ヵ月の時、Donald の開業している歯医者に経営危機が訪れました。私はケイティを連れて毎日手伝いに行くことになりました。彼女は待合室でいつも一番良い椅子に座り、患者からミントをもらうのを期待していました。もし誰もくれないときには、彼女は患者のポケットやハンドバッグを見つかるまで探し続けました。多くの患者は彼女にやさしく声をかけ、いつも彼女のためにペパーミントを持ってきました。 ある日、誰かが待合室のドアを開けっ放しにしたとき、ケイティは外へ出ていってしまいました。そして彼女はショッピングセンターでキュキューなるおもちゃを万引し、警備員によって“検挙”されました。それはまだ犬が店に入ることが許されていた時代だったのです。
私はケイティに出産させることが正しいと考えました。私たちは彼女のブリーダーの意見を求め、彼女の交配相手を選び、そして彼女は予定通り子犬を出産しました。6週目にそのブリーダーは子犬たちを見に来て、ショー用としてメスを1頭ほしいと言いました。私たちはショーやトリミングに関して最初は何をしたらよいか全くわかりませんでした。しかし色々なブリーダー達に出会ったり、ショーを見たりして、初めは見よう見まねででしたが、多くの人たちに助けられながらスタートしました。 初めのうちは入賞のロゼッタを手にすることもありませんでした。しかしそのうちに私が本気であることを Donald は知り、彼は私の誕生日に新しくメスの子犬を買ってくれました。その子犬は生後10ヵ月で、前のオーナーによってショーに出て良い成績を収めていましたが、そのオーナーは彼女を売りたがっていました。やがて彼女は Ch. Siccawei Galliard と交配し、私はメスの子犬 Karudon Kalypso Sugar を残しました。

彼女は見かけはすばらしかったのですが、ショーへ行くよりも家にいることの方をより好みました。多くの評論家は彼女のコンフォメーションは褒めましたが、パーソナリティは褒めてくれませんでした。それが原因で多くの入賞を逸し、ついに私は彼女をショーに出すのをあきらめました。そして Jokyl Smart Set と交配し、彼はショーで必要とされるものである最高の気質を子犬に与えました。この組み合わせが Ch.Karudon Kalypso を生み出しました。彼女は1984年クラフト展において、メスでCCを取り、その他にも6個以上のCC,2個のBOBを獲得しました。 その後 Kalypso は Ch. Jokyl Gallipants と交配し、また Jokyl Smart Set と Karudon Kalypso Sugar は再び交配し、4頭以上のチャンピオンを生み出しました。その途中では何頭かの他の犬たちもCCやリザーブCCを手にしました。
誰にとってもペットにするにしろ、ショードッグにするにしろスタートは大変な仕事です。彼らのすべてはブラシやコームで毎日手入れされ、運動させなければなりません。 歯や耳は少なくとも1週間に3回はきれいにされるべきです。

私の「犬との生活」のスタートでは練り歯磨きや歯ブラシは考慮されていませんでした。多くの子供の患者を持つ歯科医の Donald は、小さな歯ブラシやとてもおいしい味のする練り歯磨きをたくさん持っていました。私は子供達が練り歯磨きを飲み込んでしまっても何の害もないならば、それなら犬もたぶんだいじょうぶだと考えました。彼らのお気に入りはストロベリーの味だったと思います。 結局、歯磨きがどの程度の効果があったか分かりませんが、しかし彼らは生涯通して丈夫で綺麗な歯を保っていたことから判断して、それなりに効果があったのではないかと思います。あるいは肉屋が毎週もって来て、彼らにそれぞれ与える骨髄入りの骨のおかげだったかもしれませんでした。本当のことは分かりません。その後、ねり歯磨きは改良され、骨も自分で肉屋からもらってこなければならなくなりましたが、私自身、日常の仕事は以前も今も変わりありません。

もし私が今まで4本足の家族の世話がなければ、家はピカピカと輝いて、花壇はきちんと整頓されていただろう・・・と娘に不平を言うと、彼女は家事はどちらにせよ大変なことで、私や犬たちがこの世を去った後も家はいつまでも長くここにあるのだから、大丈夫よ・・・言っています。
だからこれから先も楽しんで!!